ベーグルとワッフルと紅茶。
お別れの時間が近づくと。
何だかこれがこの人に会う最後のような気がして。
彼をじーっと見つめたりする事がある。
彼はいつも「なーに?そんなに見られたら恥ずかしいじゃない」と言って目を逸らす。
まるで今日が初デートの日のように、だ。
この人は何年経ったら、照れないで私を見る事が出来るのだろう。
と思う。
そして私は何年経ったら、この人を見飽きるのだろう。
とも思う。
どうやら有り難い事に、私達は二人揃って「飽きる」という感情が薄いようで。
私は今でも付き合いだした当時と変わらぬスキンシップを求めるし。
彼もそれを嫌がらない。
花粉が飛び散る今の季節は、私はずっとマスク姿だが。
わざわざマスクをずらしてお別れのキスしてくれたりもする。
それは人でごった返す駅のコンコースでも変わらなかったりして。
このまま何十年先も。
同じ気持ちでいられれば、多分とても幸せ。
「愛情表現の仕方が解らないんだよ」
そう言ってた人がずいぶん変わったと思う。
そう思えるまでだいぶかかったけどもね。
昨日は珍しく、彼がちょっとすねて「愛が足らないよ」と冗談のように言うので。
「あーんして」と言って、コールスローサラダやバニラアイスを口に放り込んであげたが。
急に可笑しくなった。
周りにいるどの若い子達もそんな事してないし。
多分私達が一番年上なのに、一番あからさまにらぶらぶ。
でね。
更に大事な所は。
あと僅か何十年かで、介護として相手にこうやる日が来る事に。
気づいちゃった事なのだ。
「私達介護みたいね」
「ああそうだね、間違ってない」
ごく普通に、笑いながら返事が返って来た。
結局は。
らぶらぶでも介護でもやる事は同じなのよね。
主たる感情が、義務感か愛からかの比重の違いで。
他人から見えてる行為には違いは無い。
仲が良くて手を繋ぐのか、相手が転ばないようにそれとなく支えてるのかは。
他人からは違いが解らなくても、本人達だけが解ってれば良いのだと。
珍しくサクッと結論めいた所に至った。
こんな感じで、数十秒黙ってる間に。
ついついあれこれ考えてしまう。
「いつも考え過ぎなんだよ」
「だから疲れちゃうんだ」
たまに言われるこの言葉。
でも私生きてるから、何かを考えちゃうんだよ。
そして一瞬心で思った事を、頭で反芻してきちんと言葉にして。
まとめてこうやってつらつら書くと。
何となく気持ちが落ち着く。
まぁ何かが解った気がして、それについて考えるのを止められるってだけなんだけど。
いっつもあれこれ盛り沢山で、混乱しがちで残念な頭脳の持ち主は。
そうやって選別やら整理をしないと、すぐキャパオーバーになっちゃう。
また次回も彼の顔を眺めながら、あれこれ考えるのかも知れない。
それを「俺に見惚れてるんだな」と思ってくれれば。
結果オーライ、なのだな。