想い出話。
昔むかし。
友人の家の応接間で聞いたレコードが。
今聞けるどんな音質の良い物より素晴らしく聞こえた事を。
ふと思い出した、平成最後の馬鹿みたいに暑い夏。
んで、急なのだけども。
思いつきで、自分の中身の嫌な部分を徒然と書く事にする。
よく言われるのが「愛してるとか褒めてって言う割には反応が悪い。これだけ言い続けてるのだから、少しは素直に喜べ。」だったりする。
確かに何時も聞く。
「愛してる?」と。
いつも自信がない。
人から愛される自分だとか思えた事が無いし。
自分の何処にその価値があると思えないし。
そして結局人は裏切るもの、と心の中で思っている。
これだけ懐疑派で自己肯定力が低い人間を作ったのは。
残念ながら両親である。
両親はずっと不仲で。
父は今で言う酒乱でDVでモラハラ男であった。
母は何度も、遠い遠い実家に逃げ帰った。
私はその家出に何回もお供をした記憶がある。
父は素面でも私に向かって「お前が男だったら良かったのに」と言い続け。
母には「何故女しか生めないのだ?」と年がら年中言っていた。
父は女である私の顔を見るのが心底嫌だったようで。
常に自室へ行けと言われていた。
母に話があるのにと思っても、私が粘れば今度は母が怒られる。
私は父から嫌われているのだ。
私はどうやっても男にはなれないのに。
どうすればいいんだろ、と思っていた。
子供心にも、父は理不尽な事ばかりを言うと思っていた。
母はよく泣いていたし。
父はいつでも機嫌が悪かった。
家の中に私の居場所は無かった。
ある時、母は私達を置き去りにして家出をした。
もう何度目の家出だったかは知らない。
連れて行かなくても、大丈夫な歳になったと判断したのだろうが。
子供の私にしてみれば、母に捨てられたも同然であった。
そしてその後が更に酷い。
父は妹だけを伴って、母の実家に迎えに行った。
料理の出来ない私には、冷蔵庫にあるものを食べておけと言い残して。
ああ、ガスは使うなとも言っていたな。
かくて私は両親共に捨てられたのだと失意の日々を送った。
だって5日も帰って来なかったのだもの。
電話一本もせずに、小学生の娘に一人で留守番させた父の神経は。
今でも解らない。
その時に刷り込まれたのは。
親は私より妹が大事。
たとえ親であっても、本気の信用は出来ない。
血が繋がっていようがいまいが、どんなに好きな人間であっても。
信じ過ぎたら傷つくのは自分、って事。
だから何万回愛してると言ってくれても、心から信じられる事は無いと思う。
もし私が息を引き取る瞬間まで言ってくれてたら。
その時に初めて信じられるのかも知れない。
そんなヘビーな人間不信で、小中学生時代を過ごし。
彼氏も出来ず、幸か不幸か清らかな体のまま。
ただ精神的には絶対な存在を求めるようになった。
自分を裏切らない人で、全力で依存しても大丈夫な強さの人。
ほんとさ、よくおかしな宗教や男に引っかからなかったと思う。
我ながら簡単に洗脳されそうな境遇なのだからw
私小学生の頃にはSMという概念とか、オナ○ーを知っていたが。
それを彼氏に結びつける事は何故かしなかった。
何故だかは解らない。
付き合う人にSの要素を求めたら、一生彼氏が出来ないと思ったのか。
ノーマルでもいいや、思ってたのか。
性格や容姿の方をより重要に考えてたのか。
ドMな自分を恥じてたのか。
今となっては自分でも解らないや。
とにかくその後もノーマルな人達としか付き合わず。
それこそアナ○舐めさえさせないような。
ドノーマルな人しか居なかったのね。
SM的な要素はオナ○ーの妄想のみと。
いい歳の大人になってからようやく主がいるって羨ましいなぁ、と思うようになり。
ネットで簡単に探せるようになったのもあり。
数人会ってみたがどうも合わなかった。
会って話をしたら、複数飼いが好きな人とか彼女が居る人だったりで。
そういう大事な事は先に言えよなー、知ってたら時間の無駄だから会わないよ、で。
その人達ってSMチックなえっちがしたいだけなんじゃないか疑惑が湧いたのも本音。
結局二人で懲りたと思う。
ドMなんだけど、体のいいセフレ扱いは嫌だった。
どうせ身体を預けるなら、出来れば心底惚れた男が良かったのかも。
自分が惚れた男なら、理不尽とか思わないで盲目的に生きられるもんね。